豊胸材のような小さな危険は、身の回りにある他の大小の危険と同列に考えればよい。小さい危険があるということが解ればどうなるか?ぱっと思いつく答の一つとして考えられるのは、危険があれば受け入れられないというものだろう。この見方では、どんなに小さくても何らかの危険があるとすれば、豊胸材は禁止されたままであるべきだ、ということになる。何と言っても、私達は健康を脅かす不必要な危険を受け入れるべきではないのだから。しかし、不幸なことだが、現実の世界はそんなふうには作用しない。私達は健康を脅かす不必要な危険に毎日さらされている。車を運転したり、抗生物質を服用したり、ピーナッバターを食べたりする時はいつでも危険をおかしている(つまるところ、抗生物質は強い副作用を伴うし、ピーナツは肝臓癌の危険性を増すカビを含み、自動車事故で、私達の関心を集めるたいていの健康有害要因よりもはるかに多く死亡したり、けがをする)。逆説的な言い方だが、不必要な危険は必要なのかも知れない。疑問にすべきなのは、各々の危険の大きさ(サイズ)と、それを避ける場合の金銭上だけではないコストの問題だ。もし危険が小さくて、発見することがほとんど不可能なら、それは問題ではないだろう。心臓発作の後にtーPAを服用するか、ストレプトキナーゼを服用するかどうかは、個人にとっては重要でないかもしれないのと同様だ。まず私達は心配するのを止めるべきだ。豊胸材による危険があったとしても、毎日進んで受け入れるたくさんの小さい危険と(小さくもない危険)と同列に考えるべきだ。その一方で、個人の好みで、小さな危険でもどうも受け入れたくないものがあるし、平気で受け入れられるものもある。きわめて重大な点は、こういう問題をはっきり決めるのは私達自身の責任だということだ。不幸なことに、アメリカ人は健康に有害となる要因を評価し、どういうものなら受け入れてよいかを決めるのはあまり得意ではない。不思議なことだが、私達の多くは、健康有害要因について私達に教えてくれる科学を当てにすることは気がすすまない。だからますます他の情報源を当てにするが、中には全く常識はずれの情報もある。次章でこの国を押し流している反科学の動きとその不幸な結末を論じる。
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